


皆様
わたし、山岡がコーディネートしている「大砲と美神 Cannons and Muses Tokyo」http://cannons.mistysky.net/ の、以下のイベントのご報告をさせてください。
(Cannon and Muses Tokyoは、テルアビブで始まった「Cannons and Muses -Artist’s Role of Real-time Crisis」のネットワークに参加しています。http://cannonsandmuses.org/indexhibit/)
御興味のある方は、以下、御高覧いただけると幸いです。
<概要>
多摩美の学生を中心にした若いアーティストたちのセルフエデュケーションプログラムの公開イベント vol.3 Sound Meeting with C&M Tel-Aviv インターネットを使ったリアルタイム・ライブ・サウンド・ミーティング
(多摩美術大学芸術祭参加)
日本側場所:多摩美術大学 演劇演習室(俗称、鏡の間)
日本側日時:2009年11月2日 19:00~20:00
2009年11月3日 15:30~16:30
日本側代表:後藤天
テルアビブ側場所:Musrara (写真とメディアアートのカレッジ)
http://www.naggarschool.com/en/
テルアビブ側日時:2009年11月2日 12:00~13:00
2009年11月3日 08:30~09:30
テルアビブ側代表:Premshay Harmon
「Justin TV」 http://www.justin.tv/ を使用し、オンラインで世界中から見ることができるようにしました。
<報告>
そして、当日のパフォーマンスですが、会場のLANの遅さ、テクニカルの技術の弱さ(双方)や、Justin TVの不安定さなどで、なかなか困難でしたが、実際は成果のあるものでした。
サウンドが芸術の域に行ったとは思えませんでしたが、とぎれとぎれにつながったり、荒い映像やまばらな音声に目をこらし、耳を傾け、関係も持とうと音や声で、様々に工夫をして、アピールした時間は、凝縮したものでした。
まさにパフォーマティブ。つながることへの希望を捨てないで、メンバー皆で、努力した時間は、緊張感がとぎれることはありませんでした。
テクニカル面やチームワークに大いに、改善すべきことがいろいろありますが、テルアビブのアーティストと「リアルタイム」に、対面するということでは、とても良いビギニングになったと思います。
先方のMusraraというカレッジは、場所を借りただけですが、カレッジ側も大変、良い企画であったと喜んでくれたと、後で聞きました。
1日目に、ご来場いただき、アドバイスをくださった足立智美さん、ありがとうございました。
以下、レポートは、コーディネーター山岡から、メンバーへの手紙の形をとっています。
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C&M Tokyo メンバーへの手紙 11月5日
終了して、2日経とうとしています。参加した方は、おつかれさまでした。
思えば、なんて、興奮した3日間だったでしょうか(1日目はリハーサルとテクニカルテスト、2~3日がパフォーマンス)。テクニカルがうまくいかなくて、苦しみましたね。特に音声が届かなかったり、とぎれとぎれであったり、爆音になってしまったり(映像は荒いながらも届いていました)。確かに、Skypeだけで行った方が、うまくつながって「音楽的な」サウンドミーティングらしきことができたかもしれません。だけど、あの3日間ほどに、緊張した時間を過ごせることができただろうか???
ルンルンに、安易な音遊びで、テクノロジーの問題を(うまく使えるかとか、そういうユーザーレベルのことではなくて)考えることもなく、携帯電話ですぐ話せるみたいな、簡単な、安楽さの中での「遊び」に終わったかもしれません。
Justin TVによって、外部の人間も見ることができる(世界中のPCから見ることができる)ツールを使う、というハードルを高くしたことにより、技術的に、大変でした。でも、そのことにより、これほど遠くの人と安易につながることは、実際は難しく、そしてそれは、とても、もどかしい。会いたくて、会いたくて、会えたときの喜び。これは、簡単につながっていては、味わえなかったと思うのです。
かつて、電話も、電車も車も、手紙もなかった時代、会いたい人には、歩いて会いに行きました。そして、どこで会えるかの保障がなく、辻に立って、何日も待っていたでしょう。あの時代の人と人のつながりを、取り戻すことはできないにしても、想像する力を持っていたいと思います。
テクニカルの後藤君と丸山君は、準備の時間から2時間(準備の時間のうち最初の40分くらいは音声テスト)、緊張を止めることなく、集中していました。残りのスタッフたちは、はらはらと、わくわくを交互に思いながら、待ちの緊張。一日目は、なんとか通じたので、だんだん、はっきりしていく先方の様子。時間のラグがあるから、どうこちらのメッセージを伝えるか、トライし続けました。結局、音のやり取りもできたし、話もできた。音声も映像も相当、荒かったけれど、それが「遠さ」を感じさせてくれて、映っている人たちが、とても「なつかし」かった。サウンドの出し方が芸術のレベルまで行っていなかったけど、まるで、慣れないトーキングドラムで、隣の村の人々へ「お~い、聞いてるかい?」と合図している感じ。
また、2日目は、サウンドも映像もつながらないまま、お客さんがどんどん入ったので、彼らと、どう過ごしたらいいのか、真剣に工夫をしましたね。丹下さんがアナウンスして、皆さんを飽きさせないようにしたり、パフォーマンスを始めたり。先方とは、映像ではつながっていたけど、音で向こうに通じているかわからないし、PCでのチャットができなかったので、スケッチブックのカンペで、先方の「サウンドの音量が高すぎる」旨伝えようとしたら、先方はなぜか楽しそうにスケッチブックで返事をしてきた。見たら、ヘブライで書いたありました。
そのずれが、面白い。
その時、カバコフとファーブルの会話を思い出しました。カバコフは、ハエの格好をしてロシア語で話し、ファーブルはコガネムシの格好でオランダ語で話す。わからないけど、わかる範囲で、反応しあい、カバコフのスタジオである建物を案内する、という内容だったと思う。友情だけは確かめていた?と言った感じ。通じ合えるのは、言語の問題でも、種の問題でもないんだという、作品だったと思いました。
2日目の後半。メンバーの沢田君が、楽器を持ったお客さん(学生さん?)をたくさん呼び集めてくれて、おかげで、スペースは音楽で盛り上がり、まるで、天の岩戸の前みたいだった。お~い、出てきてくれよ~。みんな待っているし、たとえ、あなたが今、出て来なかったとして、あなたがこの世にいてくれるのが、ありがたい。まってるよ~。というやつ。最後は、双方、全員で、投げキスや手を降って終了。
コミュニケーションとは、本来、こうなのかもしれません。通じないけど、通じるレベルで努力する、誠実さと希望を止めないこと。
たしかに、テクノロジーをうまく使えなかった悔しさが残ったけれど、なんだか、妙に、充実感があったので、それを、よく考えたら、以上のようなことを、発見しました。
「事故の博物館」という言葉があるけど、まさに。ヴィリリオだったけ。藤幡さんの本でも読みました。クライシスの時こそ、何ができるか、人々は真剣になり、何が大事か、選び取る時なのです。
もうひとつ、思ったのは、デジタルでは音は「大きい」と「小さい」だけです。でも、PAのない時代は、かつては、音は「遠い」と「近い」だけだった。アナログのステレオでは、音をしぼると、機材に負担がかかっていたと聞きます。
もちろん、それとは構造が違うけど、「遠い」音の体験でした。経験しようと思ってできることではありません。
次回のこういう時には、段取りやチームワークなどをスキルアップしていると思うけど、また、ハードルの高いことを目指しましょう。わたしたちは、芸人ではなくて、アーティストです。しかも、セルフエデュケーションという場所なのだから、トライすることが、一番大事だと思います。
わたしも、物事の、基本の大事なことを忘れて、うまくいくかどうかにこだわり、あやうく、足をすくわれそうになっていました。気がつかせてくれてありがとう。
テルアビブ側からの次のアクションの提案がもう来ています。
山岡佐紀子