「横浜スカーフ 伝統の手捺染」横浜市民メディア連絡会が短編映像を公開

横浜スカーフ

港南区に残る横浜の伝統的な地場産業のひとつである「捺染」の技術を映像に残すプロジェクトを、横浜市民メディア連絡会が港南歴史協議会とのコラボレーションではじめました。2012年秋から取材を始めて、この2月にダイジェスト版を完成、公開しました。この後さらに取材を続けて20分ほどの作品をめざしています。

「横浜スカーフ 伝統の手捺染 〜瀧澤捺染を訪ねて〜」

捺染について:
「横浜スカーフ」という名称が一般的な絹スカーフは、明治のはじめ頃盛んに輸出された絹ハンカチーフがその前身です。プリントの技術は木版が最初でした。開港とともに横浜に集まってきた「横浜錦絵」と呼ばれた浮世絵の絵師・刷師の技術が、当時輸出の8割を占める生糸と絹製品と合わさって生まれた横浜ならではの地場産業です。昭和初期に今に繋がるスクリーン捺染が開発され大きく成長しました。水がきれいな大岡川と帷子川流域には100を越える捺染工場が並び、数千人の女性の雇用を支えていました。横浜空襲で壊滅的な被害を受けるも、南区にあった瀧澤捺染が焼け跡にバラックを建てて、アメリカ向けのスーベニアをはじめ、徐々に復活していきました。技術革新を積み上げた横浜独特の「手捺染」は世界に誇る品質となり、高度成長期にはブランドスカーフ輸出で世界シェアの8割を占めるまでになりました。ところがその後、円高による貿易不振や流行の変化、産業構造の転換などで徐々に衰退して「手捺染」の技術を残すのはわずか数社となってしまいました。

 

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