「とおくてよくみえない」高嶺格×三木あき子クロストークにて

展覧会チラシ1月22日。高嶺格展「とおくてよくみえない」開幕翌日の横浜美術館にて、
作家の高嶺格(たかみね・ただす)さんと三木あき子さん(横浜トリエンナーレ2011アーティスティック・ディレクター)のクロストークを聴く。
司会は展覧会を担当した学芸員の木村絵理子さん。

展覧会はここ10年間の間の作品と、新作の映像インスタレーションとテキストによる「とおくてよくみえない」、市民から集まった毛布を作品に仕立てたものなど、盛りだくさん。芝居の舞台装置のような暗い空間にテキストが浮き出てくる作品もすてきだった。

三木さんは語った。
「どの作品の前にいても“居心地の悪さ”を感じます。けして理解しえない、というところから出発しているんですね。価値基準自体を疑うところもある。相反するもの、たとえばぐちゃぐちゃのものとテクノロジー、原始的なものとカチッとしたもの、が共存しているところがおもしろいです」

3年もかかって担当者としてこの展覧会をいっしょに実現させたという木村さんが
「今回、順路は守ってほしいそうですね。流れが重要だと。ではどんな流れですか」
と問うと高嶺さんはお経のようにうなりはじめた。
「うー、うーーーん、おっ、んー、すーーー、ふっ」とみていく流れを解説。
これは音でお届けできなくて残念! 作家のユーモアが効いている。
再び三木さん。
「共犯、という言い方が好きでしょう。最後までみると“はめられた”感じがするんですよねー」
高嶺さん「ふふふ」
三木さん「政治的な問題も、ボエティックに扱っていますね」
高嶺さん「過去に失敗作と思ったものも今回は失敗だったとしたうえで別のかたちで出品しました」(パレスチナで2001年ごろ出会った女性の語りを扱った映像とテキストの作品)
さらに「僕は時間について、若いころから考えました。大切な時間とか、そうでもない時間とか、差をつくりたくないなと思って」
「ごみにすごく興味がある。捨てられた瞬間に価値を失うでしょ。そのことの等価値性というか。。。」

新作「とおくてよくみえない」の一部である粘土を焼いた作品は、制作サポーターの市民といっしょに作られたそうだ。
懐疑と反骨とユーモアが同居しているような、この作家がだいじにしている「共同作業」の意味をもっと知りたいと思った。

(小園 弥生)

展覧会は3/20まで